長い長いさんぽ ビームコミックス

長い長いさんぽ ビームコミックス

昨日本屋さんで見つけて寝入りしなに読みました。愛猫の死に関する物語です。
須藤真澄さんは「振袖いちま」で好きになって新作を楽しみにしている漫画家さんです。
私は猫よりも犬派なので、「ゆず」物はあまり興味がなかったのですが、これは別格になりました。たかがペットと思う人は思うだろうけれど、大好きな存在(「愛してる」の方が正しいのだけれどなんだか照れくさいのでこっちで)の死が正面から描かれているのが美しいと思いました。火葬場でゆずに呼びかけてるところとか狂気的な部分もそのまま描いてあって、変に美化されてない姿勢がただただ悲しくて美しいと思うのです。
泣き叫んでる自分を外から見てる二%の理性な自分の話とか、食事がたべられなかったところとか、私にも思い当たるところだったので、読みながらいろんなことを思い出していました。この本で一番好きな部分は須藤さんが自分以外の人を(例えばお医者さんとか火葬場の方)とかをだれも責めていないところです。責める余裕もないくらい死に立ち会えなかった自分を責めておられるのかもしれないのですが、悲しみに正面から向き合っているのが人間として美しいなあとぼろ泣きしながら思っていました。
そんなわけで、いろんなことを思い出したりするのであまり読み返したりはしないと思いますが、読んでよかった本でした。


個人的に思い出したことをもやもやしているので書いておきます。
高校三年のときに死んだ先代の犬について。外で飼っていた犬ですが、病気で長いこと患って、歩けないほどになってたのですが、その日の夕方みたらいつもいる犬小屋の前じゃなくて、庭の隅っこの木の陰に横になっていたので、父と弟が抱きかかえて小屋の前まで運びました。私はたぶん明日の朝には生きていないだろうなと思って寝ました。両親もそう思っていたようで、あとで夜中に何度か様子を見にいったと聞きました。それで朝起きるともう冷たくなっていたので、とても泣いたのですが、正直ほっとしたところもありました。(なんというか、もう死んじゃうかもしれないと思わなくてよくなったので)
その日に市の火葬場で焼いてもらうことになったので、私は自転車で許可証を取りにいったのを覚えています。あとは夕方に火葬場にいって、燃やしてもらいました。火葬場に持って行く前にその体には蝿が止まってたのを覚えています。市のところは一括で、骨も戻ってこなくて、正直火葬場の職員さんがとても感じ悪かったのですが、今思えば私だってそれに思いいれがなかったらただのモノだもんねと思う次第です。ダンボールは燃やせないからといわれて父と弟が包んでいた布ごと持ち上げたら頭がかくんと垂れて鼻から血がコンクリートにつーと流れたのを見たときにもう中身のない物になっちゃったんだと思ってお昼には落ち着いていたのに、わあわあ泣いていました。火葬場に火は来たときから入ってて、ダンボール云々を言われてるときもずっと扉が開いていたので燃えてるのが見えました。
帰ってきてからも自室で泣いていたので、夕飯に母が気を使って私が好きな鳥の手羽先を出してくれたのですが、その肉をみたらあの血の垂れた光景を思い出して、まともに食べられなかったです。
それで次の日は学校で、落ち込んだまま登校したのですが、なにより救いだったのは、その日最初にあった友達のSGUに昨日犬が死んだことを話したら、彼女が茶化して笑ってくれたことです。そんなに抱えなくてもいいことなのか、と目からうろこ状態ですっきりしたのを覚えています。
そんなこんなでそのときはもう次の犬は飼わないと両親も言っていたのですが、やはり寂しくて二ヶ月後くらいに今の犬をもらってきました。ときたま前の犬の夢を見ますが、懐かしいというより今の犬になんかあったんじゃと無駄に心配になります。好きなものの死は苦しくてつらいですが、好きなものが多い方が幸せかなとよく分からないまとめで終わります。