リトル・フォレスト(2) (ワイドKC)

リトル・フォレスト(2) (ワイドKC)

書こうと思っていてすっかり忘れていました。お昼に雨がまたぽつぽつ状態になったので急いで自転車をこいで本屋さんまで行きました。案の定新刊がまだ並べられて無かったので店員さんに入荷を聞いてみた。昨日の店員さんとは違う人だったので少しほっとしつつ、一巻のときは平積みだったので大丈夫と思いつつメモを渡すと、近くのワゴンに一冊だけあったので店員さんとラッキーでしたなんて少し話しながら買いました。その後通販のお金を振り込みにコンビニへ行って帰ってきて、本降りになった雨を眺めつつ、自室でじっと読みました。始めの話の、何にでもいいタイミングがあるという言葉で、人間も自然の一部なんだなと考えたり、次の話の他人の嫌なところがわかるのは自分にもそういう部分があるからだという言葉に目から鱗を出してみたり(こぼす?落とす?かな)しつつ、だんだん「食べる」ということに引き込まれていきました。アイガモの話で、なんとなく、ダッシュ村の先代のカルガモ隊もこうしてみんなの血肉になったのだろうかと考えていました。(残酷とか可哀相とかじゃなくて、ちょっとした疑問が解決されたのですっきりしたのです)あと小さい頃に食べたあけびの味を思い出したり、わらびの保存法が参考になったりといろいろ実用的でもあります。それにしても料理をさっと作ることができるのに憧れます。やはり独り立ちは必要なことだと思います。
ちなみにP42−43の木の芽が「うりゃー」と伸びる絵がお気に入りです。なんだか愛しい。これは絵ならではの力かと思う。(たまにサイエンス系の番組で植物が伸びる様子の早回しを見るけれど、そのあまりの力強さに圧倒されてしまうのですごいとしか思えないのです。でも好きなことには変わりが無いのですが。)
そういえば、帯の後ろに確か一巻から引用された「私の身体が感じたことなら信じられる」という言葉がのっていたけれど、何もかも結局はそうだと思った。この間の友達と夕食を食べたときに恋愛がどうとかいう話になって、私は下級生の言っていた「三日もメールがないからもう私たち終わりかも」という心境が理解できないと言ったけれど、正しくそれは私がそういう体験をしていないからということで理解できた。料理だってどうやって作ったらいいのかわからないというのは一度もやっていないからそう思うだけなのだと思う。
リトル・フォレストはこの巻で完結なのがなんとも残念。次の新作は「魔女」の話かなと思いつつ、期待して待っています。(このリトル・フォレストは他の作品に比べたら実際の生活を元にしている為か、少し辛口かなと思います。でも他の作品含めとてもお勧めです。)