蒼井優写真集 「ダンデライオン」

蒼井優写真集 「ダンデライオン」

以前本屋さんで見かけて気になっていたもので、昨日ようやく決心して買いました。
購入を迷っていたのは、その頃相変わらず持っていたコンプレックスの為で、かわいいと認めるのは負けだと思っていたからでした。夏ごろに良く見た文庫の表紙の蒼井優ちゃんの姿が完璧な少女という印象で、それを見るたびにそこへ辿り着けない(かった)私は駄目な気がして、嫉妬とか羨望の気持ちを感じたので、シベリア鉄道は気になったけど、近づきたくはなかったせいです。
でも最近、憧れの対象があるならばそれに近づこうと何かしら行動するべきだと思って、ファッション雑誌を買って見たり、肌の手入れをちゃんとしてみたり(これは鏡を見て危機感を覚えたというものある)、一人で服を買ったり靴を買ったり、今まで避けてきた外面へ目を向けてみました。
そのきっかけは立ち読みした占いの本にこの一年ニ年がその後の十年に影響するみたいなことが書かれていたからで、こういうものに影響されてしまうのは情けない気もするのだけれど、結果オーライかなと思います。
こういう外面への行動というものは中学生とか高校生あたりで普通は起こる気持ちなのだろうと妹を見ていると思います。そういった面での成長が遅いなと思うのです。その原因は、何となく今まで私はおしゃれをしてはいけない気がしていたのですが(中学校の校則違反に今でも怯えているような)占いにあった、行動のときという文句を免罪符にして行動を正当化できたのだろうと思います。
それから、かわいくなろうとか、きれいになろうとするのは媚であるというよりも女である自分を認めるの怖いとも思っていて、努力しても駄目だったときに落胆したくないという、心配をいいわけに何にもしなかったのです。(化粧をしたらある種の少女性が無くなると思っていたのですが、そんなことは全然なかったのです)
あとは具体的な手に入れたい対象が無いというものあるのかな。
とにかくいろいろ言い訳やら怯えやらの複合体が頭を占めていて、他に対しての嫉妬と羨望でミンナキライと燻っていました。
それでいくらか自分に自信が出てきたので、かわいいものをかわいいと思うのは負けでは無いと思えるようになって、拒否するよりも、認めたほうが楽しいことにようやく気が付けたのです。

いかにも可愛いですよ、綺麗ですよという写真ではなくて、友達がしゃべってる途中にふっとこういう顔していたな、という自然な感じがとても良かったです。目元が鋏さんに似ていたり、23嬢に似ていたり。

感想二行に対しての購入に至るまでの心の動きが長文過ぎます。しかも思うままの文章で読みにくい。しょうがないか。無意識のように自分は○○してはいけないと思うのはどうしてなんだろう。自分の行動を思い返すに、鬱屈した中学生を引きずっている気がする。最近そういう呪縛から放たれてきているのは、過去のことを忘れていっているからだと思います。
なんにせよ、変化しようとするのはいいことでも気合がいるなあ。